再会創作家 朝倉拓

地球の裏側で出会った人と、地元のカフェで再会する。そのときから再会の虜になった。「再会を日常に。」をモットーに生きる男の再会を日常にっき。

2018年3月8日の再会 ~インドで得た仲間たち編~

あの日の決断があったから、今日の再会がある。

 

誰かと再会する度に、そう思う。

 

自分の経歴を少し紹介すると、

インドでラーメン屋をやっていたことが9ヶ月ほどあった。

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大学卒業後、地元鎌倉のゲストハウス(旅人が集まるようなリーズナブルな宿)で働き、鎌倉の良いところを旅行者に発信するつもりが…

気が付くとインドのラーメン屋に(笑)

(詳しくはまた)

 

インドでラーメン屋しない?インドに伝説をつくろう!そんな話をきいて、行く決断をしたのは鎌倉の海だった。

いつもより波は静かで、星もきれいな夜だった。

 

社長がもう一人くらい日本人スタッフが欲しいと言っていたことを思い出し、当時日本で構成作家をしていた先輩にその場で電話。

10分くらいの電話だったが、俺もインドに行く!とのこと…笑

 

そして、2015年7月、アンリミテッドな世界へようこそ!という社長の言葉を胸に、僕らはインドへ渡った。

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 が、、、

 

その年の夏にインドで初の本格ラーメン屋「秋平」をオープンするも、インドの環境に心が破壊され、自ら誘ったはずの先輩を残し、1年しないうちに帰国…

そんな挫折があった。

※秋平は今(2018年3月時点)でもバリバリ日本のラーメンを発信中。

 

 

それから、もう2年が経つ。

先輩は今でもインドで闘っているが、日本に一時帰国中ということで、インド生活中に出会った仲間たちと一緒に渋谷で食事会。

 

僕のいたチェンナイという町にも日系企業はたくさんあり、日本人駐在員も800人~1000人くらいはいるとか…

忘年会、新年会だけでなく、夏祭りや運動会も行われるほど交流が深い日本人会だったのもあり、僕と先輩も、平成生まれがあつまる「ゆとり会」とやらに参加させてもらっていた。

そのときの素敵なご縁と、インドでラーメン屋やりましょう!と訳の分からない誘いをして、1年しないで帰国した僕に文句ひとつ言わない先輩の器の大きさによって実現した再会だったと思う。

 ありがとう。

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2018年3月8日 渋谷

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 2018年3月3日 新宿

 

再会を日常に。