再会創作家 朝倉拓

地球の裏側で出会った人と、地元のカフェで再会する。そのときから再会の虜になった。「再会を日常に。」をモットーに生きる男の再会を日常にっき。

地球の裏側で。

人生のテーマでもある〝再会を日常に〟

 

20歳の時にした「世界一周」の経験から「再会」を意識するようになったのだが、なにも旅中にそうなったわけではない。

 

帰国してまもなく、たまたま出身地が鎌倉、横浜といった観光地であり、東京からさほど遠くないというこもあり、

旅中に世界中で出会ったたくさんの人が遊びに来てくれた。

 

その中でも特に印象に残っているのが、

今回再会した「しげさん」との再会だった。

 

しげさんとはチリのイースター島で出会った。

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念願のイースター島に着いたのはいいが、辺りにモアイはなく、無謀にも徒歩で探しに行く途中に車で拾ってくれたのがしげさんだった。

サッカー日本代表のユニフォームを着ていてよかったとつくづく思う笑

 

その車には日本人の旅人が何人もいて、

色々な人と交流したけど、その中でもしげさんの人間性に惹かれた自分がいた。

 

お互い滞在日数が数日残っていたので、

朝日を見にドライブしたり、夜キャンプ場で話したり、本当にお世話になった。

仕事で長いこと海外にいたしげさんの経験談は当時大学生だった自分にはとても刺激的なお話しだったのだ。

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(自分が右、しげさんが真ん中) 

不思議なのは、しげさんとイースター島でお別れした後に出会った人たちとのほうが、イースター島では長い時間を一緒に過ごしたということ。

思い出の数や写真の枚数ではあきらかに後者の方が多い。

 

でも、、、

 

いまでも再会しているのはしげさんとだけ。

 

旅に限らずよくあることだが、

別れ際の「また会おう!」

これは大概が社交辞令であり、実際に再会するかというとそうではない。

 

旅人のような行動派でもそれは同じである。

 

しかし、しげさんは世界一周から帰国したばかりの自分と友人を広島にある実家に泊めてくれ、美味しい日本食をたくさん食べさせてくれた。

日本食に飢えていた自分たちからすると至福のときだった。

 

帰国して、自分の実家より先にしげさんの実家におじゃまするとは…笑

 

その後も何度か再会させてもらっているが、地元鎌倉に遊びに来てくれたことがあった。しかもうちの実家の最寄り駅でもある「大船駅」へ。

 

一緒にお昼を食べたのだが、イースター島、つまり地球の裏側で出会った人と生まれ育った町でパスタを食べてるのがなんだか不思議で、とてもワクワクした。

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この日に感じたワクワクから、

「再会」の虜になり、「再会創作家」というわけのわからない肩書きを勝手につくり、「再会を日常に」しようとしているというわけだ…

 

つまりしげさんの人間性の〝おかげ〟であり、〝せい〟なのだ笑

 

長くなったが、今回も地球の裏側で出会ったしげさんとみなとみらいを歩けたことで、また自分のやりたいことが再確認できた気がした。

 

ほぼ、路頭に迷っている自分の人生相談だったが…笑

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(横浜のヨガフェスにて)

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 (渋谷の英国風HUBにて 横に座ってたアメリカ人と)

素敵な生き方を教えてくれ、いつまでも人生の大先輩であるしげさんに感謝だ。

次はしげさんのお宅かな?

 

それでは、再会を日常に。

 

再会創作家 朝倉拓

 

 

 

 

 

人生の共演者

久しぶりすぎる更新。

 

再会を日常に」をテーマに生きている

26歳。更新していなかった半年間、病んでいたわけではない。

人と再会しすぎて自分がブログをしていたことを忘れていただけだ笑

 

今日は学生時代に大学を休学してまでやりたかった「世界一周」中に出会った仲間たちと先月再会したことを書こうと思う。

 

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トルコで出会ったなっちゃんこと長谷部夏子。(2012年11月 トルコ )

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そしてペルーで出会ったしゅんちゃんこと福田俊介。(2012年2月 ペルー )

 

 この2人は、自分と同じく大学を休学して世界一周していた同い歳ということもあり、旅中でも印象に残る存在だった。

 

 

世界一周後にも、

電子書籍冒険の始まり」の出版を手伝ってもらったり、

https://www.amazon.co.jp/冒険のはじまり-朝倉-拓-ebook/dp/B00ORLA3KK

沖縄を3人で旅したり(このとき2人は初対面…笑)2014年9月 沖縄

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キャンピングカーでアメリカ大陸を横断したり 2015年3月 アメリ

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様々な冒険を共有してきた相棒たち。

当時20歳の自分が大学から飛び出して得た、かけがえのない財産だ。

 

今でも再会すればみんな一瞬で「ただの旅人」に戻れる。

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2017年3月 渋谷

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2018年 3月 奈良

 

全く違う業界でそれぞれ必死に生きる2人にいつも刺激をもらい、負けられないと自分にムチを打つ。

 

今後は仕事、結婚、家庭と自然と行動が鈍くなる年齢に…

その中でも多くの冒険をこの2人と共有したいと思える。

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まさに人生の共演者だ。2018年7月 新宿

 

この2人と生きていくためにも自分のやりたいことをカタチにしていく必要があるのかもしれない。

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 いつまでもこうやって歩いていきたい。

 

次はどこで会えるかな?

再会を日常に。

 

 

 

 

2018年3月8日の再会 ~インドで得た仲間たち編~

あの日の決断があったから、今日の再会がある。

 

誰かと再会する度に、そう思う。

 

自分の経歴を少し紹介すると、

インドでラーメン屋をやっていたことが9ヶ月ほどあった。

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大学卒業後、地元鎌倉のゲストハウス(旅人が集まるようなリーズナブルな宿)で働き、鎌倉の良いところを旅行者に発信するつもりが…

気が付くとインドのラーメン屋に(笑)

(詳しくはまた)

 

インドでラーメン屋しない?インドに伝説をつくろう!そんな話をきいて、行く決断をしたのは鎌倉の海だった。

いつもより波は静かで、星もきれいな夜だった。

 

社長がもう一人くらい日本人スタッフが欲しいと言っていたことを思い出し、当時日本で構成作家をしていた先輩にその場で電話。

10分くらいの電話だったが、俺もインドに行く!とのこと…笑

 

そして、2015年7月、アンリミテッドな世界へようこそ!という社長の言葉を胸に、僕らはインドへ渡った。

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 が、、、

 

その年の夏にインドで初の本格ラーメン屋「秋平」をオープンするも、インドの環境に心が破壊され、自ら誘ったはずの先輩を残し、1年しないうちに帰国…

そんな挫折があった。

※秋平は今(2018年3月時点)でもバリバリ日本のラーメンを発信中。

 

 

それから、もう2年が経つ。

先輩は今でもインドで闘っているが、日本に一時帰国中ということで、インド生活中に出会った仲間たちと一緒に渋谷で食事会。

 

僕のいたチェンナイという町にも日系企業はたくさんあり、日本人駐在員も800人~1000人くらいはいるとか…

忘年会、新年会だけでなく、夏祭りや運動会も行われるほど交流が深い日本人会だったのもあり、僕と先輩も、平成生まれがあつまる「ゆとり会」とやらに参加させてもらっていた。

そのときの素敵なご縁と、インドでラーメン屋やりましょう!と訳の分からない誘いをして、1年しないで帰国した僕に文句ひとつ言わない先輩の器の大きさによって実現した再会だったと思う。

 ありがとう。

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2018年3月8日 渋谷

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 2018年3月3日 新宿

 

再会を日常に。